2020


ーーーー1/7−−−− 百人一首の動植物


 正月となれば、なにかと話題に上るのが百人一首。そこで、最近調べた事を一つ紹介しよう。

 百人一首に使われている色については、2018年7月の記事で取り上げた。ちょっと意外な調査結果だった。今回は、百人一首に登場する動物と植物について調べてみた。

 動物は、鳥と獣と虫に分けて数えた。その結果、鳥は、山鳥、かささぎ、千鳥、ほととぎすの4種類が各1首ずつだった。ウグイスやスズメ、カッコウやオシドリなど、登場しても良さそうな鳥の名が思い浮かぶが、いずれも見当たらなかった。それにしても、たった4種類でしかも4首とは、思いの外少ないという印象だった。

 獣は鹿のみで2首、虫に至ってはキリギリスの1首だけだった。犬や猫、また狸や狐、猪など、身近に感じる動物も無かった。虫にしてもキリギリスだけとは。蝶やスズムシ、蜘蛛など、風流な表現に使われそうな気もするが。

 植物は、多かった。紅葉が5首、松と芦がそれぞれ2首、あとは1首ずつで、さねかづら、菊、茅、八重葎、さしもぐさ、笹原、八重桜、山桜、桜、稲葉、真木、ナラ、しのぶが見出された。集計すると、16種類22首だった。この他に、植物の種類が特定できない単語が含まれる歌がある。 「若葉」、「草」がそれぞれ1首ずつ、「花」が4首。それらを入れると、19種類28首となる。植物が詠まれている歌は、全体の四分の一を越えていることが判明した。

 紅葉がトップというのは、さすがに歌心を誘われるアイテムということか。ところで、面白いのはこれらの中で特定の花を詠んだのは、さねかづら、菊、八重葎、八重桜、山桜、桜の6つだけ。桜類を一つと見れば、4種類の花しか登場ていない。梅、アヤメ、椿、藤、サツキなど、いかにもありそうな花が出て来ない。これもちょっと驚きだった。

 使われている色が少ないというのが、前回の調査の結果だったが、花が少ないというのも、それと関係があるのかも知れない。古の歌人たちは、色に対する関心、興味が薄かったということか。色恋に関する歌は43首と圧倒的に多いのだが・・・




ーーー1/14−−− やだきゃおきゃれ


 
近年、近所に住んでいる地元の方々(代々この地に暮らしている人たち)との交流を持つ機会が多くなっている。そんな飲み会の席で、同年代のある男性がよく口にする言葉がある。それは「やだきゃ、おきゃれ」。

 標準語に直すなら「嫌なら、置いておけ」となろうか。意味するところは、嫌なら放っておけ、嫌なことには関わるな、と言った感じである。これがかの男性の人生訓のようである。たしかにそのような行動パターンが伺える。しかし、けっして偏屈な人間ではない。むしろ皆から好かれているタイプの、ナイスガイである。

 そのような方針で生きることは、教育評論家などからは咎められそうである。目の前の状況から逃げず、正面から向き合って、解決策を求めて努力をするのが、正しい生き方だと。あるいは、好き嫌いで物事を判断をするのではなく、その奥にある真実を見出すことが必要だと。しかし私は最近になって、「やだきゃ、おきゃれ」に理解を覚えるようになった。

 たとえば、周囲に嫌な感じの人がいたとする。自分に対して馬鹿にしたような態度を取る。言動にも敵意のようなものが感じられる。そのような場合、どうしたら良いか? 相手がどうしてそのようなそぶりを見せるのか、あれこれ憶測してみるか。あるいは、相手に気に入られるような手立てを探すか。それらはほとんど意味が無い。相手の心の中を知ることは不可能であり、相手の心を自分の思い通りに変えることも、出来ないからである。

 逆に、そのように相手のことを考え続け、それだけで頭が一杯になると、ストレスがたまり、イライラする。それを見て、無関係な周囲の者も不快な気持ちになる。言わば邪悪の連鎖である。その連鎖を断ち切るためには、関心を捨て去ることが一番良い。つまり放っておくことが、最良の道なのである。相手が嫌な感じでも、気にしない。馬鹿にされても、聞き流す。敵意を感じても、相手にしない。そうしていれば、いずれ時間が経つうちに、片が付く。思いがけない結果を見ることもある。人は未来を知ることは出来ないが、予想もしなかった未来が訪れたりするのである。

 人は誰でも、自分が思う通りに物事が進むことを期待する。しかし、その人のために世界が出来ているわけではないから、思い通りに行かなくて当然である。にもかかわらず、思い通りにいかないことを不満に感じ、腹を立て、イライラする。人の心のストレスの原因は、ほとんどが思い通りに行かないことに対するイライラである。

 相手を嫌な奴と感じるのは、自分が好かれる人物でありたいと思うからである。馬鹿にされて腹が立つのは、自分が馬鹿にされるような人物では無いと思うからである。そのような自分の思いに反することが生じると、ムッとする。思い通りに行かないからイライラするのである。思い通りに行かなくて当然なのが世の中だから、つまり当然、当たり前のことに対して、イライラし、腹を立てるのである。これでは、四六時中イライラしていなければならない。

 わが国の教育は、子供の頃から、いかに思い通りの結果を得るかのトレーニングを強いられている感がある。それも必要なことだとは思うが、そのために残りの人生で多くのストレスを抱えることになる。「やだきゃ、おきゃれ」は、「世の中は思い通りにならないから、無理に突っ張らないで、なるようにまかせましょう」と言っているように、私には思える。それは、自らの中にストレスを溜め込まず、安らかな気持ちで暮らすための、ある種の知恵だと思う。

 もっとも、「やだきゃ、おきゃれ」を貫き通せるか否かは、持って生まれた性格のようなものが左右するだろう。相応しい性格を有しない場合は、別の精神的な支えが必要だと思われる。




ーーー1/21−−− CADの使い道


 CADというのは、パソコンで使う製図ソフトである。私は、Jw-cadという、無料のソフトを使っている。初めのうちは使い方が分からずに苦労をした。しかし、ネットで調べれば、使い方に関する細かい情報を知ることができる。それだけ、これを使っている人が世の中に沢山いるのだろう。今では使い方にも慣れて、仕事をする上の有効な武器になっている。

 基本的には、家具の設計に使うのだが、それ以外にも使い道を開拓してきた。例えば、木取り計画。一枚の大板から、必要な部材を切り出すのに、より効率良くするには、試行錯誤が求められる場合が多い。現物にマーキングしながら検討をすると、墨を書いたり消したりがとても煩雑になる。大板の外形をパソコン画面上に設定し、部材の形を落とし込んで、コピー、貼り付けの機能を使えば、幾通りの検討もラクに出来る。

 象嵌アクセサリーの図案を作る際も、CADが役に立つ。幾何学的な細かい模様を、直径25ミリ程度の小さな円の中に描くのは、手書きでは難しい。特に、曲線を用いた図柄を、左右対称や点対象に正確に描くのは、至難の業である。CADなら、それなりの機能を駆使すれば、正確にきっちりと作図できる。線の巾も、0.1ミリ単位で指定できる。さらに、一つの図柄を大量に複製して印刷するには、これほど便利なものは無い。コピーした図面を切り抜いて部材にのり付けし、図柄の線を目印にして加工するという技法は、我ながら画期的なアイデアだと思う。

 さらに、仕事や日常生活で使う表なども、CADで描くと便利な場合がある。ほかのソフトでも表の作成はできるが、それぞれのソフトには特徴があり、全てのニーズに対応できるソフトは無い。手書きで記載する表のブランク・フォームなどを作るなら、CADは自由自在、思い通りにアレンジできて、具合が良いのである。

 最近は、楽譜の作成にCADを使って見た。楽譜は五線紙に手書きで描いても事足りるのだが、曲を採譜する際は、コピー&ペーストの機能があるパソコンの方が便利である。もちろん、CADで描いて印刷したほうが見栄えが良い。楽譜作成の専用ソフトは世の中にあるが、私が調べた限り有料のものしか無く、しかも高価だったので、手控えた。むしろ、自分でCADを使って描いたほうが、具合が良い部分もあると思う。チャランゴという楽器には、特有の演奏方法があり、それを記号化することは、市販のソフトで可能かどうか知らないが、ゼロから自分で作るCADなら何でもできる。最初にト音記号や音符などの記号を作るのが少々面倒だが、一度作ればコピーして使い回せる。

 かくのごとく、CADは大変便利なツールである。使い慣れてみれば、痒いところに手が届くくらい、機能が多彩で優れている。このようなソフトを作り、無料で提供している人には、まことに感謝をしなくてはならない。









−ーー1/28−−−  特急あずさの座席指定システム


 
久しぶりに中央線の特急あずさに乗ったら、ちょっと驚いた。座席の上部に設けられている荷物棚の下に、赤や黄や緑の小さなランプがずらっと並んでいるのである。こんなものは今まで見たことが無い。前のシートの背に説明書きがあった。また車内放送でも、繰り返し説明があった。それによると、ランプは各座席の予約状況を示すものだった。

 緑のランプは指定済みの座席、赤のランプは未指定の座席。それでは黄色は何かと言うと、途中の駅から指定が入っていて、その駅に近づくと点灯するのである。つまり、出発した時点では赤のランプでも、途中から黄色に変わることがあり、その場合は次に停車した駅でその座席の指定券を持った人が乗ってくるというわけだ。

 緑のランプが点いている席は、当然乗客が座っているわけだが、その人が途中で下車すると、ランプは赤に変わる。厳密に言えば、黄に変わったり、再び緑になったりする可能性もあるだろうが、そういうケースは少ないと思われる。

 実際に、最近乗ったときの状況で説明しよう。

 昨年末に東京へ出掛け、30日に新宿から松本まであずさに乗った。Uターンラッシュはとうに過ぎていて、この日の夕方のあずさに乗る人など少ないだろうと予想した。ところが、新宿駅で指定券を買おうとしたら、全席指定済みだった。その後に組まれた臨時列車も、満席だった。予想が甘かったと反省した。仕方なく立ったままで行こうと列車に乗った。荷物棚の下のランプはほとんどが緑だったが、一部に黄があった。もちろん全席指定済みなのだから赤は無い。

 私は黄ランプの席に座った。列車が発車してしばらくすると、車掌が検札に回ってきた。検札は、緑ランプの乗客に対しては行わないので、すぐに私の席まできた。私が持っていたのは、座席未指定券という特急券である。これは指定が取れない場合に購入する券だが、そうでない場合でも意図的買うことが出来る。乗る列車が直前まで決まらない場合、あるいは乗ってから好きな座席に座りたい場合などに購入する人がいるようだ。

 車掌は私の券を検査した後、「この座席は立川から指定が入ってますので、そのお客様が来られたら席をお渡し下さい」と言った。それは覚悟の事だから、私は「分かりました」と答えた。立川駅が近づいて列車がスピードを落としたタイミングで、私は席を立ち、デッキに向かった。デッキには、立っている乗客が数名いた。私は甲府駅でかなりの乗客が降りるだろうと予測した。それまでの辛抱だと、鞄から読みかけの小説を出した。

 甲府駅に着いた。ぞろぞろと降りていく人たちとすれ違いに、私は客室に入った。赤が点灯している席がいくつかあった。そのうちの一つに座った。甲府から先の駅で大勢の人が乗ってくる可能性はまず無い。このまま松本まで座って行けると予想した。その予想通り、赤ランプは黄に変わることなく、松本まで座席に収まって読書ができた。

 この三色ランプのシステムは、なかなかの優れものである。従来のシステムと比べてみよう。

 従来でも、指定が取れれば問題ない。予約が一杯で指定が取れなかった場合は、自由席をねらってみるが、そこも満席の場合は、指定席車両に入って、とりあえず空いている席に座る。その座席の権利を持った客が、いつ乗車してくるかびくびくしながら過ごすことになる。最初から指定を取らず、自由席で行こうと考えたが、満席なので指定席車両へ移動し、空いている席に座るというケースもある。この場合は、指定済みの席か否かは、賭けである。車掌が検札に回ってきて、「この座席は指定済みですから、そのお客様が現れたら席を譲って下さい」と言わたこともあった。しかし、どの駅から指定となっているかは、教えてくれなかった。

 三色ランプのシステムなら、区間を区切っての予約状況がランプの色で分かるから、利用者にとってみれば、行き届いた便利さがある。赤ランプの席と黄ランプの席があれば、赤に座ったほうが良い。長く座れるからだ。また、車掌にとっても、検札の労がぐっと減って、ラクになっただろう。検札は、赤と黄ランプに座っている人だけに行えば良いのである。

 ところで、現在のあずさは自由席が無い。全て指定席扱いである。ただ、上に述べたように、座席未指定券というものがあり、料金は同じだが、座席指定の手続きをせずに乗ることもできる。また、指定券を購入した人でも、乗車してから席を変えたくなったなら、移動しても良い。その場合は、当然だが、赤ランプの席に移るのが良い。席を移動すると、検札を受ける場合があると車内放送は言うが、その後の経験では、移動しても検札は無かった。おそらく車掌が状況を把握していたのだろう。それだけ車掌の負担が少なくなっていることが伺えた。